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尾鷲ヤーヤ祭り (三重県 尾鷲市)

2014/02/01

 場所・期間 

<場所>
・尾鷲市北浦町12-5
 尾鷲神社

  ※ヤーヤ練りの場所は、毎年変わりますので、尾鷲神社(0597-22-1486)までお問い合わせください。


<期間>
・毎年2月1日~5日
 

 概要 

◆扉開きの神事(2月1日)  
2月1日、午前0時に行われるこの儀式は、ヤーヤや手踊りなどの氏子が奉納する祭りの余興を楽しんでもらうために、神にお出ましを願い、神殿の扉を開けるという意味を持っています。  

この開会式とでもいう扉開きには、1月31日の午後11時30分ごろから三つの当務町や17の手伝い町から、高張提灯を掲げた総代や町頭らの代表が詰め掛け、神社境内は大小の提灯明りで不夜城のにぎわいを広げ、約150人の関係者が厳粛に神のお出ましを出迎えます。神を祀る神殿は、拝殿から20mほどの渡り廊下を渡った奥まった位置に鎮座して、廊下両側に各町役員が提灯をかざして整列、淡い燈明の中をしずしずと進んだ宮司が、厳かに神殿の扉の鍵をはずし、荘厳なきしみ音を響かせて扉を開け、宮司の祝詞奏上に合わせて当人らが玉串を捧げ、祭りの開始を宣言するとともに、無事終了を祈願します。

◆在回り(2月1日)  
2月1日、午後6時ごろから、当務町がそれぞれ尾鷲魚市場岸壁で垢離をかいて、神社に参詣。午後7時ごろ、三当務町と全ての手伝町が神社に集合して、在回りに出発します。約300人の行列が市内を2時間ほどかけて歩き、全町に祭りがおこなわれていることを示します。

◆ヤーヤの練り(2月2日~4日)  
2月2日の夜からヤーヤが始まります。現在の服装は、上下ともに白シャツ・ズボンとなり「裸祭り」でなくなりましたが、明治・大正時代はふんどし1本のスタイルで、各町の若者衆は小頭の振る提灯の合図に従って、一糸乱れぬ行動をとったと言われています。この集団が「手伝い」と称して殴り込みのような「押し合い」を当屋の町に仕掛けます。3回ほど押し合ったあとは、当屋の町に合流して、次に来る町の「手伝い」を待ちます。当屋の町は次第に大勢になり、あとから「手伝い」に来る町は、大勢が相手なので苦労します。大正時代には、2つの町が橋上で衝突し、数百人が押し合ったため橋が壊れ、100人ほどが川に転落し、死者さえ出るほどの熱狂的なものだったそうです。  
押し合いのときの掛け声は「チョウサ」であって「ワッショイ」ではない。この「チョウサ」には2つの説がある。1つは「丁歳」であって、15歳になって初めてヤーヤに出られるというとき、清酒1本を添えて町頭へ参加を願い出て認められ、もみ合いのとき、私も15歳ですと「チョウサ」を連発する成年儀礼であるとする説。もう1つは、「超歳」であり、新年を意味するもので、本来正月の祭りであったことから、新年の祝い言葉であったとする2説です。  

当屋前での練りが終わったあと、各当務町のショードがヤーヤを従えて毎夜神社にお参りします。その際、必ず魚市場前の海岸に立ち寄って、当人、汐撫、弓射など主だった役人が身を清める意味で海水により垢離をかく習わしになっており、高張提灯をかざす闇の海中へ威勢よくザンブと飛び込みます。【真っ裸なんですよ。一見の価値ありです。】

◆例大祭(2月5日)  
2月5日、午後0時ごろから、1番当を先頭に、2番当、3番当の順に旧熊野街道の林町、南町、土井町、中井町、北浦町を経て、尾鷲神社に宮上りをします。これは、当人たち一行の神社への正式参拝です。  
一行とは、汐撫、前裃、当人、後裃、弓射、矢取、薙刀振、大弓持、飾弓持、神飯持、甘酒持の順序で、前裃と後裃は当人の身内の者、弓射は中学生、矢取以下は子どもで、最後の2人は女子です。この一行を広い意味での「ショード(将党)」といいます。行列の先頭は神楽や若者の練り、当受町の尾鷲節踊り、その後に当務町の槍、種子島銃等を持った子どもの列に、「ショード」がつづきます。それに各手伝い町の手踊りなどがつづき、3つの当が神社へ全部集合するのは、すでにあたりも薄暗くなった夕刻になります。

◆弓射(ゆみゆい)の奉納(2月5日)  
2月5日、暗くなると境内にかがり火が赤々と焚かれます。弓場は各町の提灯で囲まれ、昼のように明るくなります。いよいよ弓射の奉納です。汐撫が潮水で射場を清めます。約14mの距離から三当務町の各弓射が2本づつ射ます。そのあと、紋付の晴れ着・はかまをはいた可愛い「矢取」役の子どもが出て、射た矢を取ってきます。矢が的の中心に当たった当務町は、あとで伊勢神宮へお礼参り(星祭り)をする習慣があります。

◆お獅子の出御(しゅつぎょ)(2月5日)  
2月5日、弓射が済むとお獅子の出御です。獅子頭を宮司が頭上にいただいて、おもむろに一の鳥居まで歩いていき、鳥居を出たところでお獅子殿に帰るとき、右回りで帰れば山方が豊作、左回りのときは浜方が豊漁だと言われています。豊凶を占う神事のため、若衆たちは獅子頭を自分たちの方へ向かせようとすさまじい勢いで練り合います。  

この神事に欠くことのできないご神宝の獅子頭は、運慶作と伝えられる製作年代の古さに加え、初春の豊凶占いも長く続いているので、昭和43年、県の有形民俗文化財に指定されています。

◆祷渡しの儀式(2月5日)  
2月5日、祭礼もすべて終わり、来年の当務町へ当を渡す儀式が、親方立ち会いのもと、盃を交わし行われます。そして、新当務町が当を受けて祭りは幕を閉じます。

鞨鼓を打ち鳴らし踊りながら、音頭の歌い手とほら貝の吹き手と一緒に松明の周りを練り歩きます。
【注】当屋=祷屋、当務町=祷務町など、「当=祷」です。

 



 由来・歴史 

◆ヤーヤの由来 
尾鷲神社例祭『ヤーヤ祭り』は、祭礼期間中、毎夜各町の若者衆が、町で練る行事の「ヤーヤ」が通称となったもので、この「ヤーヤ」という名称は、戦国時代、武士の立ち会いの名乗り『やあやあ我こそは……』に由来するといわれています。

◆一番、二番、三番当の由来  
この祭礼をつかさどる宮座の親方衆は、享保20年(1735)の古文書によると、当初、一番 庄司・世古・北村、二番 仲、三番 田所別当・林の諸氏でした。この三つの当(禱・党とも書く。以下同じ)は、天正10年(1582)新宮の堀内安房守氏善が尾鷲を攻めたとき、中村山に主陣を置き、右翼に山の神砦(古戸野)、左翼に関山砦(瀬木山)を備えて戦った三つの陣地を意味するものであるとされています。
ヤーヤの錬りは、この戦いで尾鷲勢が迎え撃ったさまをまねたのが、現在の練りの姿であろうといわれています。これら宮座の親方衆の許可なくしては祭礼は行えず、七度半の使いを出してお出ましを願ったものでしたが、現在は廃されています。親方の下には、七人の妻座(詰座とも書く)があって、親方を補佐していろんなことを処理しました。

 

 見どころ 

2月2日~4日に行われるヤーヤの練りは迫力満点です。
2月5日に行われる例大祭や弓射も見どころの1つです。

 


 アクセス・料金・営業日・お問合せ 

<アクセス>
尾鷲神社
①電車
 JR「尾鷲駅」から徒歩約15分

②車
 伊勢自動車道「尾鷲北IC」から約5分

<お問合せ>
 0597-22-1486(尾鷲神社)
 0597-23-8223(尾鷲市商工観光課)

出典:
本ページに掲載している原稿と全画像は、尾鷲市商工観光推進課よりご協力いただきました。

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発行・編集:             ちば まきこ
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